おもてなし体験と担い手の獲得。

2000年代前半で迎えた高校生の時分、ちょっと背伸びした時間を体験・共有したい時に好んで足を運んだのが、自由が丘のスターバックスでした。

1996年の日本進出から日が浅く、国内の店舗数も100ちょっとということで、まだ少し特別感を抱ける時代でした。そして当時、来訪の都度「なんとなく感じのいい接客」を受けていた印象が、未だ記憶に残っています。「思い出補正」を差し引いても、肩肘張らず、顧客と店員の距離が近しい中で、当意即妙な受け答えや些細な心配りを感じられる空間でした。

その後、日本における店舗数が750を数えた頃から、めっきり足が遠のくようになり、それは今でも変わっていません。恐らく過去2年くらい、人に連れられて行く以外で訪れたことは無い気がします。

理由は、端的に冒頭に描写したような温度感が失われたと思えたからで、一見するとカスタマイズされたサービスを提供しているのようで、実際は「パターン1のA」を選択している…という接客のステージに移行したように感じるようになったことが大きく影響しました。。

ここで主観からスタバを”ディスる”意図は全く無くて、「規模を拡大すれば必ず何かを喪失する」ことを単に書き留めておきたかっただけです。と同時に、たとえば「おもてなし」に秀でていると評される我が国において、真に適性ある人材は果たしてどのくらい存在するのか?という興味による記述でもあります。なお、個人的な見立てでは、労働人口の5%未満ではないかというのが答えです。

さて本来なら、ここで「真のもてなしとは?」を定義する展開が筋なんのでしょうが、身をもって体感する要素が多い領域だけに、それは却って野暮な気がします。

代わりに、訪れた際に安定して「もてなされている」と感じ、安心して身を任せられる先を2つ挙げておきます。

1つ目は、天下のリッツ・カールトン。ここのサービスには、「自分たちは特別なホスピタリティを提供している」との自負や自己愛に起因する作為性を少しだけ感じることがありますが、やはり良い人材を集めており、コミュニケーションにおいてストレスを感じるリスクを回避できる点で、ひとまず不安なく飛び込める先です。

カーネギーが『人を動かす』の序盤で記した、「人が最も心地よく感じるのは自分の名前を呼ばれた時」を愚直に実行しているのか?は分かりませんが、とにかく「○○︎さま」と行く先々で呼びかけられる体験をすると、純粋に「徹底ぶり、すげー」とは思わされます。

2つ目は、グローバル・ダイニング系列の飲食店で、個人的には『権八』ブランドへの信頼度が特に高いです。こちらは『リッツ』に比べたら少しマイナーかもしれませんが、店舗の募集要項に一言「気がきく人」と挙げている効果かもしれません。特に、ホールスタッフの多く(?)を学生も含めたアルバイトで賄っている点も考慮に入れると、出色のクオリティを提供しているのではないでしょうか。

同社はコロナ禍に都が要請した時短命令に関連してひと悶着起こしたり、いち早く完全キャッシュレス移行を行ったことで、一部の「現金派」からは不評を買ったりしましたが、見方を変えればそのくらいの思想や信念がないと、顧客の心に響くような人を集めることは難しいのかもしれません。

さて、ここまで「もてなし」の基準を上げた場合に、翻って必然的に頭を悩ませる問題が、サービスを享受する側から、提供する側に回った時に、自身が納得・満足できる人材を確保することが針の穴を通すような作業になってしまうことです。

この一点においても、己が広くサービスを提供する企業の経営者には不向きであって、基本的に一人会社として仕組みを磨く方向性の方が肌に合っていると自覚しています。「数合わせで中途半端な人員を配置するくらいなら、すべて無人レジになって欲しい…」と考える人間にとって、いわゆるBtoCの事業で規模を拡大させるのは至難の業です。

ただ、想定していたよりもAIの実装やサービスの自動化に向けた流れが加速しているのは嬉しい誤算で、ひょっとしたら今から10年以上先、50代・60代になる頃には「人と機械のハイブリッド」を駆使することで、思い描く水準の何かを供することができる時代が到来しているかもしれません。そのことを少しだけ楽しみにして、しばらくは心を委ねられる「もてなし」を堪能しながら、まずはあと10年、生き残ってみたいものです。

【参考】

スターバックス コーヒー ジャパン 沿革