文系か理系か?と問われたら、適正は間違いなく前者なのですが、高校の最後まで数学の「確率」という単元だけは好きで得意だったのを、今でも鮮明に記憶しています。
その後、大学で故あって経済学を齧った中で「リスクと不確実性」という考え方を知りました。
かいつまんで言えば、前者は(がんばれば)予測可能な範疇を、後者は天災といった(その時点で)人智が及ばない範疇を指しているものと理解しています。
このうち、予測できるものを予測することを好ましいととして、それを心地よく感じるという気質が、どうやら自分には備わっているようです。
さて、翻って自身の半生を省みると不思議なもので、かなり丁半博打のような振舞いをしてきた…というのが総括です。
確率と折り合いを付けるためには冷徹な思考が欠かせませんが、その根幹を成す感情・肉体の2点において未熟であり、追いつかない時期が続きました。
それがここへ来て、少しずつ変化してきているのを実感しています。
もちろん、まだ移行期であって、完全に成熟したとは思いませんが、お金や健康との付き合い方など、工夫すれば概ね計算が立つ事柄については、かなり先の見通しを持って都度の判断を行えるようになってきたようです。
背景には、心身のメンテナンス法が自分なりに確立しつつあることや、家族構成といった環境面の変化があると自己分析しています。
加えて何より大きいのは、今生において「何を諦めるか?」の基準が整理されつつあることのように思えます。
老いるとは、実現可能性0%の事象がふえていくこと、と言いかえることも可能です。
たとえば、今からオリンピック出場を果たすのは現実的ではありませんし、量子力学の専門家になれるとも思えません。
加齢という抗いがたい現象のおかげで、ほどよく選択肢が狭まってきたことが、僕の場合には+に働いているようです。
不惑を迎え、人生を確率論で考えられるようになったといことは、ようやく自身が好きで得意なパターンに持ち込めたことを意味しますから、ここから何がどう推移していくか?、自分でも少しだけ楽しみな気持ちです。