ゴジラ-1.0ー現代の神話と3部作に関する考察-

話題作『ゴジラ-1.0』を鑑賞してきました。色々とツッコミどころは多かったですが、この点に関しては各種の考察記事やブログに譲るとして、ひとまずチケット代の分は十分にデトックス効果のある映画でした

これを書いている時点で国内における興行収入は44億円ということで、ヒット作と呼んで差し支えないでしょうし、アメリカやフランスの観客を動員するに足る構造・構成をしていると思いました。こうした作品を観て、やれ陳腐だ、予定調和だと批判するのは容易いでしょうが、元よりエンタメ映画というのはそういうものですし、むしろ最大公約数の観客(≒大衆)にとって、どのくらい単純化した物語であれば受け入れられるか?に注目した方が、貴重な考察を得られるキッカケになると思います。

ところで、いわゆるコンテンツの世界において、今回のゴジラはじめ、特定のキャラクターを繰り返し使ってさまざまな作品が作り出される状況というのは、現代を語る際に1つの特徴となり得るのかという点に興味があります。古来より、物語の展開には多くとも数十のパターンしかないそうですが、話の筋書きのみならず、そこに登場するアイコンに関しても、我々が考えつくものは大体が世に出てしまったと考えるのが正解なのでしょうか?あるいはゼウスやポセイドンが時代を超えて各種のコンテンツに登場するように、我々も新たな神話を紡いでいるのか?、できたら答えを知りたいところです。

さて、ゴジラ-1.0に話を戻します。ラストシーンの描かれ方1つ取っても、製作陣は続編を描く気持ち満々のようですから、目論見通りの展開が実現した際には、きっと観に行くと思います。個人的には、バットマン3部作における『ダークナイト』のような傑作を期待してしまいます。通常、1作目のヒットを受けた続編は駄作となりますが、今回は大丈夫でしょう。むしろ、第1作の結果(数字)を受けて作り手の裁量は増すはずなので、作品としての深みが増すものと見込みます。

今回、-1.0と題して1947年を舞台に戦争と終戦、そして戦後を描いたわけですが、舞台設定を日本とする以上、描かれるべき対象は幾つか残されているはずです。1つは「高度経済成長期」ですが、これは『ALWAYS3丁目の夕日』で済ませているでしょうから、やはり残るは「東日本大震災」と「コロナ禍」だと思います。なんとなくですが、あくまでパラレルワールドであるという利点を活かして、実際とは時系列を入れ替えて取り扱うのかな、という気がしています。答え合わせは、おそらく数年内に。