健康で文化的な最低限度の食生活

コロナ禍で閑散とした飲食店が目立つ中、どこの街に行ってもマクドナルドだけは賑わっている。食事時(しょくじどき)には行列ができていることも珍しくないし、最近では所謂”ウーバー地蔵”も目につくようになった。

なぜ流行るのか?、あまり学術的な論拠など無いが、パッと考えてみるだけでも、いくつも思い当たる理由が挙がる。

1. 中毒性

2. 本能への刺激

3. 習慣

4. 価格

5. 手軽さ

総じて、消費者の多数派にとって、(積極的にせよ消極的にせよ)外食時の選択肢として、抗いがたい魅力を放っていることは否定できないだろう。

さて、ここまで「マクドナルド」という固有名詞を例に挙げたが、別に特定の企業やブランドを取り上げて批判する意図は全くない。

ただ、週末や昼時のマクドナルドに並ぶ人々の”平均的な雰囲気”を思い浮かべた際に、自身はその葬列に参加したいとは思えず、自衛の策としての言語化を行っているに過ぎない。

根底にあるのは、人類の殆どが飢餓を克服した時代に於いて、肥満や不健康な肉体(姿勢、体臭など)が貧困の象徴と見做される時代が到来する(している)との感覚だ。

歴史学の分野で今や世界的な大家となったイスラエル人ユヴァル・ノア・ハラリの代表作『ホモ・デウス』では、通史を振り返り、人類が現代に至って初めて解決した課題として、「疫病(感染症)」と「戦争」に加えて「飢餓」を挙げている。そして、肥満を原因とする死者数が年間300万人に達していることも指摘している。

この数は今後も増加の一途を辿ると予想する。

人間の脳みそは未だに原始時代を生きているから、当時は貴重であった糖質や脂質を欲するようなメカニズムが出来上がっているらしい。

グローバルに展開する食品メーカーや飲食店は、こうしたヒトの仕組みを間違いなく研究している。

マクドナルドやコカコーラが製品の中に依存性のある物質を忍ばせているとの言説は都市伝説だと信じたいが、たとえば嗅覚を刺激するだけでも同様の効果は期待できる。

加えてヒトは習慣的な生き物だ。街へ出て空腹を感じたときに、見知らぬ店の看板と見慣れた黄色いMのマークが並んでいれば、後者に引き寄せられるのが多数派の選択であることも想像に難しくない。

勘の鋭い人はこうした仕掛けを本能的に気持ち悪く感じるだろうし、巷の書籍にも知識や情報は溢れているから、勉強することでも気づくことができる。しかし、そうした層は常に全人口の2割にとどまる。

おまけに、格差は今後ますます拡大し、先進国・途上国を問わず30~50億の人は慢性的に金と時間が不足する生活を強いられることになるだろう。そうなった時、「ハンバーガーを食べたい」という欲求に対して、KUA’AINAもShake Shackも最初から候補になく、選択肢はマクドナルド一択という層が人口に占める割合が増加する。

食生活のみならず、「快適と健康は平均の上にある」というのが語られない真実の一つであるが、中間層が消失する世界では、そうしたサービスや製品にアクセスできる人が特権階級を形成することとなるだろう。今、世界は丁度ターニングポイントを迎えている。

深く考えることなく食事を選択する個人やその子ども達は、慢性疾患や慢性的な思考力の低下を抱え、ますます貧しいスパイラルから抜け出せなくなる。今ならば創意工夫で抜け出せるが、たとえ善意による啓蒙が行われようとも、ノアの方舟に乗り込む決断ができるのは、いつの時代も少数派だ。

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