目をかけている後輩の1人から、転職を決めたと報告をもらいました。
現職はMRだったのですが、個人の器>仕事の器というミスマッチが生じているようで勿体なさを感じていたため、新たな門出を心から祝福したい気持ちになりました。
ここで言う「器」とは、その人が本来の力を出した時に何ができるか?、そして特定の仕事がそれを許容するだけの深さや広さを持っているか?を指します。
たとえばMRは割と稼げる仕事の1つだと思いますが、働き盛りを迎えてもプレイヤーを続けねばならず構造を持った職種でもあります。加えて、どうしても「医者の御用聞き」という印象を払拭しにくいことも相まって、経験値の積み上げが自身の世界を広げにくい仕事と理解しています。実際、営業力がある知人の多くは体力のあるうちに稼いでしまって、少しずつ不動産投資などにシフトしていくパターンが多い印象です。
件の後輩は「思考力を鍛える」点では日本でも屈指の大学を出て、かつ長年に渡ってウエイトトレーニングを続ける継続力もあるということで、適正は1つ高い位置にあると見立てていました。
聞くと、仕事を変えようを考えてから決着をつけるまで3ヶ月ほどだったそうです。
日本でも転職が一般化して久しく、個人的に歓迎しています。しかしながら、本来であればステップアップが叶う資質を持ちながら足踏みしている人を見ると、少なからず歯痒い気持ちを抱くのも事実です。
(ただし、見方を変えれば「決めること」や「行動すること」も能力の一部、あるいはそれこそ人生を決定づけるファクターなのかもしれません。)
ゆえに今回の件は決断力と行動力の大切さを身をもって示してくれた好例だと思いました。
さて、最後に今回の話題を自分に引き寄せた話を少しだけ。
まず、歳を重ねるごとに、選択肢や可能性は加速度的に減っていくと捉えています。40代を迎えると、基本的に世の中はそれまでの貯金(≒実績)で人を見るものと割り切って考えた方が無難でしょう。
ただ、個人の器が拡張し続けている実感があるのであれば、フィットする器の仕事をするべきです。
一応その資格はあるはず…と信じて、2023年は粛々と種蒔きに勤しんできました。今回、後輩から吉報が届いたことも、上手くすれば自分にとって1つの糧となりますし、まずは年内の残り3ヶ月を清く正しく過ごしたいものです。
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M、おめでとう!新たな環境での躍進を確信して、応援しています。また再会しましょう。