「日本スポーツなぜ強くなった」

タイトルはAERA2023年10月16日号からの拝借です。

ここ数年、日本の活力が(高度経済成長期〜バブル期と比して)失われている現状に反して、日本籍を持つアスリートが各国のトップリーグなどで活躍する事例が増えている事実に注目していました。

そこで気になっていたトピックということもあり、いわゆる「雑誌」を久々に購入したのですが、特集は全76ページ中3ページのみ、肝心の中身も論旨の検証などが薄く驚くほどスカスカでした…。

立てた問いは興味深くタイムリーであっただけに残念です。

一応、解答として挙げられていたのは「90年代に蒔いた種が実ったこと」、「いわゆる日本代表が市民権を得たこと」、「ナショナルチームを指導する外国人のコーチや監督が増えたこと」などでしたが、数字による裏づけや他国および過去との比較など十分な検証がなされているとは言い難く、中途半端な印象を抱きました。

個人的には、我々を取り巻く環境の変化、とりわけ「個人が接する情報の質と量の増大」にスポットライトを当てて欲しかったと感じていますので、これを機に補論を書き残したいと思います。

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今や、調べる意欲と技術さえあれば、素人でも世界の最先端で行われているトレーニングの情報を得られます。

加えて「量」については改めて論じるまでもなく、我々が触れる情報量は10年ごとに数十倍〜数百倍に増えていると言われています。

ここで仮に、意識的に環境を選択できる年齢の目安を15歳、代表レベルで活躍するアスリートの選手寿命を35歳とすると、20年×365日×24時間=175,200時間という膨大な時間数が算出されます。

このうち、睡眠や食事など生活に必須の時間を全体の3分の1と仮定して差し引いても、まだ1万時間以上が残る計算です。

このうち、実際の試合や練習に割く時間は多くの人が想像するよりも多くありません。以前、サッカーJリーグの鹿島アントラーズに興味を抱いて何度か練習を見学しに行ったことがあるのですが、それこそトレーニング自体は1日2時間くらい、あとは個人の裁量に任されているとのことでした。

そのため、選手や指導者が良質な情報に基づいて余白の時間を埋めていけば、自ずと成果が得られることは自明の理でしょう。なお、ここでの「情報」は広く体験なども含んだものと位置づけています。

もちろん、こうした状況は基本的に国を問わず共通していますから、日本人のアスリートが相対的に情報の扱いに長けているか?など、検証すべき点は残ります。

その上で、こうした流れの果てに「能力を持った個人とそうでない個人との間に生じる二極化する未来」が見える気がしています。

人間のパフォーマンスを向上させる際に鍵となる要素は意外と少ないようで、食事・睡眠・運動・呼吸・姿勢・意欲などに正しくアプローチしていけば、高い確率で結果が得られることが分かってきています。

そこで極論、大谷翔平がメジャーリーグで二刀流を貫いているように、「世界に名だたる企業を導きながらオリンピックで金メダルを獲る」個人が排出される土壌が整ってきたのが、現代という時代なのでは?と思います。

私見ですが、未来予知に明るいユヴァル・ノア・ハラリ氏やジャック・アタリ氏が著書の中で予見している、「進化した人類」登場の萌芽を感じ、少なからず期待も膨らみます。

反面、正しい情報にアクセスできなかったり、様々な理由で可処分時間が少なかったり、あるいは先天的な能力が制約となったりする個人にとっては、ますます希望を抱きづらい時代が到来すると見方も取れるでしょう

そうして疎外感を抱いた人々が形成する集団が招いた悲劇は枚挙に暇がないのですが、まずは希望の方に目を向けたいと思います。

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ということで、いわゆる4大紙の手掛ける週刊誌が惨憺たるクオリティの特集を晒してくれたおかげで、頭の片隅に置いていたテーマについて、自説を整理する機会となりました。

なお、Wikipediaに掲載されているAERA紙の発行部数(日本雑誌協会調べ)は2021年の時点で約68,000部とのことです。

どこのコンビニにも置いておらず、Amazonに頼った時点で気づくべきでしたが、結果として紙メディアの衰退を体感する機会となりました。